「電通の寅さん珍道中」
東京電通で仕事をしていた2019年頃、Braveというブロックチェーンベースのブラウザベンダーへの投資事業案件の相談を電通出身のスタープランナー岡崎孝太郎さんにした際だったと記憶していますが、彼から「竹内さんって電通のドンキホーテだね」と言われたことがありました。岡崎さんは数多くの広告キャンペーンを手掛けてきた電通の中でもトップクラスのプランナー。彼は1964年生まれで私より2歳ほど若いですが、30代後半に電通から独立して日本で初めてのアカウントプランニングに特化したコンサルティングブティックSONARを立ち上げ、2024年7月時点の今も現役で広告ビジネスの最前線で活躍しつつ、国立情報学研究所の研究者として人工知能の研究にも取り組まれている有能な人物です。
私が名古屋電通にいる頃ですが、彼のプランニング力の鋭さを人伝に聞いて、東京電通に転勤して以降も含め、彼に仕事をお願いしつつ、色々と戦略プランニングについての教えを請うていました。彼からすると、電通の中での私の行動 – 出世も考えず、現実を見ることなく夢を追いかける行動 – は、まさにドンキホーテのようにクレイジーに見えたのでしょう。彼に「電通のドンキホーテ」と呼ばれて、自分の電通人生を振り返った時、確かにそうとも言えるかなと反省しつつ、「失礼な奴だなぁ」と少々カチンときたのも事実です。でも、本音を面と向かって言ってくれる人もそういませんし、ありがたいことですから、「電通のドンキホーテ」と私のことを呼んだ岡崎さんにはある意味で感謝しています。
実は、岡崎さんから客観的な指摘をいただいたことがきっかけで、定年も見えてきた電通マンとしての最後の頃は、「電通のドンキホーテ」ではなく「電通の寅さん」と社内外で自称していました。
映画「男はつらいよ」の寅さんは、「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」という名セリフで有名です。寅さんは、大人になって普通にサラリーマンになるでもなく、テキ屋稼業で社会の外れものの道を歩みながらも、曲がったことが大嫌いな男。
私は、電通という有名企業の社員ではありましたが、管理職になってからも「電通はこうあるべき。なぜこれをやらない。」などと正論を遠慮なく役員や社長に向かってさえも偉そうに言って1きたので、電通の中での「外れもの」的なところが、自分としては寅さん風だなと思って、「電通の寅さん」を自称していた次第です。
今は電通を定年退職したことと目指す夢がOriginator Profile(OP)の社会実装なので、「OPサムライ」が自分のキャッチフレーズです。
ですが、「OPサムライ」としての自分は現在進行中なので、自分の会社を立ち上げたのを機に、「電通の寅さん」としての人生を振り返ってみようかと思い、連載ブログを始めることにしました。
私は、今も電通が大好きで、電通にいたから今の自分があると思っています。世間からは色々と批判を受けることが多い電通ですが、私の経験から見える電通の実像もご理解いただけたら幸いです。以下は連載ブログを書き始めるときに立てたブログの構成です。書きながら、章立てを変える可能性もあります。毎週1章づつ仕上げていく計画です。
元「電通の寅さん」、現在「OPサムライ」こと、竹内好文
「電通の寅さん珍道中」目次
- 電通との出会い
- 新入社員で衝撃を受けたポッカ谷田社長への表敬訪問
- 派遣女子社員を娘のように心配する電通の親父
- 世界デザイン博でのタレントショップ運営経験
- マーケティングプランナー初心者の競合連敗
- インターネットと「1人電通」
- 個人情報流出事件
- コンバージョン率60%のインターネットキャンペーン
- チームで作り上げたECサイト「24Alpen.com」
- はじめてのアカウントプランニング「定額制コンタクト」
- クライアントの理不尽な要求も仕事にするのが電通マン
- 電通の放送広告ビジネスモデルの崩壊と東京電通への転勤
- 日本広告業協会懸賞論文とカンヌ広告祭
- 改めて吉田秀雄という人を学ぶ
- JavaScript発明者へのプレゼンテーションと事業投資提案
- インターネット・サムライとの出会いとOriginator Profileの誕生
- 電通には新入社員のリーダー・サブリーダー制度というのがあり、私の新入社員の時のリーダーはのちに社長になられた石井直さんでした ↩︎