大人の男の装いとメンズファッションビジネスのギャップ

わたくし、Instagramでは、ジジイと称して毎日の装いを投稿しております。1962年3月生まれで、このブログを書いている2024年7月現在、62歳です。このブログのタイトルの話に進む前に少し私の洋服歴をご紹介させてください。

小学校高学年ぐらいからお洒落に興味を持っていました。洋服に関する最初の思い出は、当時流行していたVANジャケットのダッフルコートです。親に頼みこんで、当時、名古屋にあったオリエンタル中村というデパート(現在の名古屋三越)に入っていたVANのショップに親と一緒に行きました。



ところが、親の財布事情とVANのダッフルコートの価格が合わなくて、「こんな高いものは買えないけど、大須に行ったら似たようなものがあるから、大須に行こう。」と言われ、不服ながらも、ない袖は触れませんからVANのダッフルコートは諦めて、大須の洋服屋さんでダッフルコートを買ってもらいました。

今思えば、ダッフルコートを買ってくれただけでも十分、親に感謝しなくてはいけなかったと思うものの、当時は不満タラタラでした。名古屋の大須は、今は古着屋さんがたくさんあって若者に人気の街になっています。

中学生になると、興味がオシャレから音楽に向かい、レッドツェッペリンの天国への階段が弾けるようになりたいと、エレキギターを親にねだるのですが、これも親の懐具合の関係で安いクラシックギターで我慢することに。でも、結果的には、ネックの太いクラシックギターでジミーペイジやリッチーブラックモアのギタープレイをコピーしていたのが幸いしたのか、高校生になってアルバイトして買ったエレキギターを手に入れた時には、自分で言うのもなんですが、かなりギターの腕前が上達していました。

大学生になると、当時人気だったカシオペアの野呂一生さんに憧れて、彼のギタープレイのフルコピーを一生懸命練習していました。今でもカシオペアは大好きで、Instagramのリールの音源として利用させていただいています。

通称ゴアこと杉浦誠さん

お洒落への熱が高まるのは、大学3年生ぐらいからでした。当時、名古屋の池下という街に「エバンス」というセレクトショップに通って洋服を買っていました。このエバンスのオーナーの杉浦誠さん(通称ゴア)に可愛がってもらいお洒落の基本を教えてもらいました。当時は、名古屋にまだBEAMSのショップがなくて、このエバンスが実質的にBEAMS名古屋店のような立ち位置になっていたので、International Gallery BEAMSのスーツなどもエバンスで買っていました。

私にとっての最初のオシャレの師匠は、このゴアさんです。大学生の自分から見て、とてもカッコいい大人で、幅広い分野の知識を持っている方でした。当時、極めて高価だったAppleのMacintoshの実物を初めて見たのも、彼のお店でした。

このエバンスというメンズショップは、自分にとって「大人の入り口」でした。さて、このブログの本題にそろそろ入ります。60歳を超えてジジイになった男にとって今のメンズショップはどうでしょうか。

BEAMS、UA、Tomorrowland、STRASBURGOなど様々なメンズショップはありますが、店頭で接客してくださるのは、自分の息子のような方ばかりです。私が「大人の男とメンズファッションビジネスとのギャップ」と書いたのは、まずお店で対応してくれる店員さんのことです。企業の常として年齢を重ねると管理職になっていくので、メンズショップを運営する企業でも、おっさんは店頭の接客から管理業務に移行していくので、店頭から離れていくのでしょう。

でも、ファッションを生業とする企業がそれで良いのでしょうか? 現地現物という言葉がありますが、ファッションはその時代を表すものであり、現場に立っていないと、今の消費者の気持ちがわからないのではないかと思います。私は、ファッションビジネスに関わる企業であれば、年齢を重ねた社員こそが、現場でお客さんに向き合うことが必要なのではないかなと思います。

店頭での接客を若者だけに任せるのでなくて、年齢を重ねたベテラン社員こそが定期的に店頭に立ってお客様の接客にあたってお客様への提案を考えるチャンスとして活用していくべきなのではないかなと思います。

例えば、パリのアナトミカに私が行ってみたいと思うのは、ピエール・フルニエさんに会ってみたいと思うからです。でも、今の日本には、そんな機会を顧客に提供しているメンズショップはありません。高齢化社会になっていく日本で、このギャップを埋めたら、もっと日本のメンズファッションビジネスは伸びるのではないかと思っています。

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